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「北九州港」誕生 ~平成20年代

 2011(平成23)年311日に発生した「東日本大震災」を契機に国内の防災意識が向上しています。今後も南海トラフ地震等の大規模災害の発生が危惧される中、市民生活を支える重要な拠点である港湾においては、被害状況に応じた臨機応変な災害対応が可能となる体制・環境の構築が必要不可欠です。

 2015(平成27)年には、国内有数のフェリーターミナルを擁する新門司地区にフェリー輸送に対応した耐震強化岸壁の整備が完了するとともに、北九州市と北九州港に就航する中・長距離フェリー会社4社の間で、『災害時の輸送協力に関する協定』を締結しました。協定の締結により、本市が大規模災害で被災した場合、各社のフェリーによる(1)災害救助に必要な食料・物資、(2)災害時の応急対策に必要な要員・資機材、(3)被災者等の輸送の支援・協力を受けることが可能となりました。

 同年には、被災時においても、港湾の重要機能を最低限維持するとともに、迅速な機能回復を実施するため、港湾関係者が、災害等の発生後に行う具体的な対応(対応計画)と、平時に行うマネジメント活動(マネジメント計画)等を示した『北九州港事業継続計画(北九州港港湾BCP)』を策定しました。北九州港港湾BCPの策定は、港湾BCPの策定を目指す県内の港湾に先駆けて、県内初の事例となりました。

防災協定締結式

​防災協定締結式

 洞海湾を隔てて隣接する戸畑区と若松区は、1962(昭和37)年に開通した「若戸大橋」が唯一の連絡道路であったため、朝夕のピーク時には慢性的な渋滞が発生していました。そこで、国土交通省、北九州市、北九州市道路公社の3者が連携して、洞海湾を海底トンネルによって横断する新若戸道路の整備を開始しました。新若戸道路は、九州で初めて車両が通るトンネルにおいて沈埋工法を採用し、トンネル部の総延長を短くすることで、より経済的かつ短期間での施工が可能となりました。2012(平成24)年には、名称が公募により『若戸トンネル』と決定され、新たな洞海湾横断道路が開通しました。

 「若戸トンネル」の開通により、「若戸大橋」の交通渋滞緩和を図ることに加え、洞海湾を横断する経路が2ルート確保されたことにより、各々を代替する輸送経路が確保され、時間信頼性や通行信頼性の面で地域生活の交通機能が強化されました。また、工業地帯を形成する生産拠点であり、ひびきコンテナターミナルや響灘南埠頭を有する物流拠点でもある響灘地区方面からの交通が市街地に流入しないため、一般交通と大型車両の交錯がなくなることで市街地の交通安全が改善するとともに、小倉都心部から同地区方面へのアクセスが約8分短縮可能になるなど、効率的な物流ネットワークの実現に向けた広域幹線道路網へのアクセス強化が実現しました。

新若戸道路開通式

​新若戸道路開通式

​旧大連航路上屋

​旧大連航路上屋

 門司港の西海岸地区に位置する「旧大連航路上屋」は、1929(昭和4)年に「門司税関1号上屋」として建てられ、当時は大連(中国)航路や欧州航路などが就航する国際旅客ターミナルとして多くの旅客や送迎者で賑わいました。しかし、太平洋戦争勃発以降、大陸への旅客往来は激減し、旅客ターミナルとしての機能は失われました。

 その後は、アメリカ軍による接収や門司税関の仮庁舎としての利用を経て、1979(昭和54)年から改めて公共上屋としての利用が再開しました。その一方で、平成10年代になり施設の老朽化が懸念されたことから、耐震補強を加えながら建築当時の姿への復元を図ることで、2013(平成25)年には港湾緑地の憩いの場としての機能を有する『旧大連航路上屋』としてリニューアルオープンしました。同上屋では、門司港レトロの新たな観光交流拠点とするため、北九州港の歴史や門司港に寄航していた客船、大連の紹介を行っています。また、映画・芸能関連の資料を無料で広く一般に公開する「松永文庫」を移設するなど文化・芸術の展示やイベントの開催など、門司港の新たな魅力を発進する交流施設として生まれ変わりました。北九州市ゆかりの映画俳優・高倉健さんを偲んで、2015(平成27)年末に松永文庫において開催された写真・資料展「わが心の高倉健」には、多くの人が訪れました。

松永文庫

​松永文庫